NHK朝ドラ「おひさま」 & 松本と安曇野
今放送されているNHKの朝の連続ドラマ「おひさま」を、私としては珍しく毎日見ている。というのも私の馴染みの場所が舞台だからだ。
両親が大町市、穂高町(今の安曇野市)の生まれで私が松本生まれ、おまけに私も名前が「太陽の陽子さん」。
でも私はドラマのヒロインの様に出来は良くなかったし、いつも笑顔でいられる性格ではなかった。それなりに活発で明るくはあったが、かなりの引っ込み思案でひどい人見知りの子だったから。
小学校の頃に父に何故「陽子」にしたのか聞いたとき、やはり「明るい子になるように」に由来があったが、戦後のやや食糧事情が良くなった頃に生まれたせい?なのか、田畑の作物を元気に良く育てる大きな力がある…みたいなことも言ったので、何かドンくさい感じを受け少しばかりガッかリした記憶がある。
ヒロイン陽子役の井上真央ちゃん。私は彼女が子役時代の昼ドラ「キッズ・ウォー」のシリーズを楽しみに見ていた。あの頃は私はちょうど12年間続けたパートを辞めたばかりで、その後少々体調も崩していたので家にばかりいるようになっていた時で、毎日見ることができた。
正義感が強く明るく元気な茜役で斉藤翔太君との可愛い恋も胸キュンもので、私のお気に入りのドラマだった。
以後、井上真央ちゃんのファンになっている私。だから「花より男子」シリーズも楽しみに見ていた。
彼女は明るく可愛く親しみやすく、演技力もある。かなり忙しかったはずなのに頑張って大学もしっかり出ている頑張り屋さんなのも気に入っている。浮足立った落ち着かないアイドル的な感じが無いのが私は好きだ。
そしてヒロイン陽子の住む村の家並みが、今私が住んでいる町から車で40分ほどの奈良井宿で撮影されている。
この奈良井宿は私が信州に越して来て以来、この3年半の間に一人で行ったり友達を連れて行ったりで計6回程行っている。観光客がたくさんおらず、ウィークデイに行くと人影もまばらでいつも静かな町で、気に入った喫茶店や宿のはずれにある美味しいお蕎麦屋さんがあるのもいい。
奈良井宿。特に夏には家々の前にはきれいな花がいっぱい置いてあって目を楽しませてくれる。
ヒロインの兄春樹の通った松本の高校は今の信州大学の様だし、彼がいた寮の表札がまさに信大の「思誠寮」となっていたと思うが。
撮影も小学校の頃から大好きだった大きなヒマラヤ杉の並木が道路沿いにある信州大学の文理学部の旧学舎、今の「あがたの森」で行われていた。このヒマラヤ杉の並木の前の道を私は小学校、高校と9年間通った。
この大きなヒマラヤ杉は冬、雪をかぶった姿が特に好きだった。
今は大分下の枝が切られてしまい、形が少々残念な状態だが上部は切られていないようだ。私の小学校の頃は手が届くくらいの高さに枝があり、雪降る学校の帰り道、雪の積もった枝を引っ張り、後ろから来る友達にはねっ返る雪をかけてふざけて悲鳴を上げさせた思い出もある。いつもあの大きく枝を広げた美しい姿を想い出す。
今の松本市は随分と高い建物ばかりになり最近行くと私はがっかりすることが多い。これは松本ばかりでなく日本全国、または世界でも大なり小なり同じなんだろうけれど。
昔のことを言ってもせん無いことだが、以前は町中から西の北アルプスの山がまだ見えていた。最近は本当に町が整備されてしまい、岳の町らしからぬ高いビルばかりになり、昔ながらの町の通りも広くなりまったく変わってしまった。
今でもたまに友達と会い、松本市内を歩くと「ここは昔のどこ?」と友達に聞くことがある。自分の生まれ育った町なのに。たまに帰省してはいたが30年余の間、故郷を離れていたんだから仕方ない。行く度と言っていい位に町は変わっていった。
市内を流れる女鳥羽川に幾つかかかる橋の上から東方面を見ると、緑の山の連なりに私の青春の思い出の地、美ヶ原高原の王が鼻の山が見える。
ある日帰省して懐かしい縄手通り周辺を歩き周り、女鳥羽川にかかる子供の頃から馴染みの一つの橋の上から東の山並みを見た時、大げさではなくかなりショックを受けてしまった。細長く高いホテルが建ってしまい、完全に美の山のその姿を遮ってしまっていた。まさに目障りそのもの。
「なんで~、なんであんな所にあんなもの建ててしまったのよ~~!!」だった。町の景観より経営者はホテルからの展望を優先したのだろう。
実に腹立たしかったのだが、こんなこと思っているのは私だけなのかしらん?
松本は「岳の町」がキャッチフレーズだったはずなのに、どうして岳の見えない町にしてしまったのだろうかと非常に残念に思う。
建物の高さや色を規制をしてもいいのではないのだろうか。今の松本市に規制があるのかどうかは知らないが、考えて欲しいと心から思う。
松本駅の前からも東側の美の山が全く見えなくなってしまった。
町の発展、観光面では仕方の無いところもあるのだろうが、同じく観光資源である景観の面からいけばやはり美しい街造りとしてももう少し考えて欲しいと切に願う。
“時すでに遅し”の気もするが、生まれ育った町の残念な変貌が寂しい。
せめて美しい松本城とアルプスの景観を壊さないように、お城より西方面は建物の高さ規制をして欲しいと思っている。
最近自分は豊かな緑の環境に住んでいるせいか、すっかり町でなく街となってしまった松本に行くと、見慣れない街並のせいかすっかり「田舎のネズミ」となってしまっている。我が家に帰り、周囲の美しい緑の山々を見渡すと本当にホッとするのだ。せめてこの周辺は開発が進まないでほしいと思う。
ドラマで陽子が友達と松本へ兄春樹を訪ねて行った時に松本城へ行った場面があった。
月見櫓の南側から春樹が「あれが常念岳だ」と指さして説明していたが、「オイオイ、そっちにゃ常念岳はないんでない?」とニヤッとして見ていた。知っている者しか分からないところだが、そこがご当地ドラマとして見ると面白いところでもある。
幼・小・中・高・大学生と、どの時代を通じても思い出のある松本城。
ヒロインが通っていた「有明山国民学校」の門柱の名を見ても思わず笑ってしまった。
たぶん母は子供の頃「有明尋常小学校」に通っていたのだろうと思う。亡き母はヒロインより4歳程年上の様だからきっとドラマの陽子さん、子供たちと同じ様な感じだったのではなかろうか。私の母は頭の良いきれいな人で、農家の嫁は嫌だと満州の商社マンであった父と結婚してしまった人だ。
母の生家へは幼い頃からいつも遊びに行くのを楽しみにしていた。
母の兄、伯父夫婦は暖かく穏やかな人達で、いつも私たちを気持ちよく迎えてくれ色々と面倒を見てくれた。従兄姉達と遊んだこともいつでも楽しく想い出すことができる。
伯父の家には馬小屋にはアオという名の馬がいて、柿の木の下には大きめの鶏小屋があり、昼間は庭に何羽もあちこちに歩き回っていた。豚小屋もあった。何匹も子豚が生まれたとき、母豚がものすごく大きかったことにびっくりし、小屋を覗く私を怖がり逃げ惑っていたたくさんの子豚達がなんて可愛かったことか!
大きな柿の木があり、たくさんの甘い実がなったが、「柿の木は折れやすいで上ったらいけんよ。」と伯母から言われたがやはり大好きな柿を食べたくて上った。落ちはしなかったがやはり小枝が簡単に折れて危ないと実感したもの。
地面の何かをついばんでいた1羽の鶏が厩の前まで行ったとき、目の前を通って行く鶏を馬がパクッとくわえてそのまま長い顔を大きく上下した。鶏が慌てて「コケー、コケーッ、コッコッ~!」とかん高い声で鳴きわめいたせいなのか爪先で馬が顔を蹴られたのかは分からないが、馬は慌てて口を開け鶏は地面に無事舞い降りて逃げた。
それを見ていた私は何故かおかしくて大笑いしていたら「どうしただ?」と家の中にいた伯父達に聞かれた記憶がある。何歳頃だったのだろうか?小学校に上がったかどうかの頃だと思う。書き出せば本当に懐かしいいっぱいの思い出がある子供時代だ。
母の家の門を出ると左方向、西に大きな有明山がドン!と見える。
母は「有明山は“信濃富士”と言うんだよ」と言っていた。本物の富士山よりは丸みのある形だけれど、有明から池田町あたりから見る有明山は確かに信濃富士だ。大町方面に近づくにつれその形も少々歪んでくる。「おひさま」を見ていても有明山や常念岳の形の変化で大町寄りか穂高寄りか分かる。
母が亡くなりもう早20年近くになる。私が安曇野方面に行ったときにはいつも有明山を見て「お母さん、来たよ。」と言い、帰りにはまた有明山を見て「また来るね。」と内心呼びかけてきた。ここしばらく有明方面に行ってないのでそろそろ行きたいと思っている。
豊科、穂高と安曇野も随分観光化されて変わってしまった。
今は伊那谷のはずれに住んでいる私だが、最初は大好きな安曇野に住む場所を探した。独り身になる前から年を取ったら信州、安曇野に住みたい……が私の夢だった。図らずも信州に住むことになったけれど。
何度か家を探しに行くと私の頭の中の描いていた安曇野はもう無かったに等しかった。
夏休みの時期に行ったとき、渋滞を起こすほどの何台も続く観光バスや車には嫌気がさし、山裾まで観光客目当てのレストラン、ホテル、施設、住宅が増えたことと言ったら嘆かわしい位だった。
これも当然と言えば当然で仕方の無いことなのかと。
メディアに頻繁に「安曇野、安曇野」と出るようになって久しい。安曇野の人々は町興しもしたいはずだし、今の時代、美しくあんな良い風景の場所だもの観光化されて当然なのだろう。でも私の中には何十年も前の美しいイメージの安曇野があり続けている。
松ぼっくりの花かごの造り方を従姉が教えてくれたり、従兄姉たちと走り回った山の中は別荘地に開発されてしまった。
きれいな川の高かった(当時はそう感じた。)土手の上から、粗いけれど太陽にキラキラと輝くような白っぽい美しい砂地の川底目がけ、何度も飛び降りて遊んだきれいな川はすっかり公園風に整備されてしまった。どこもかしこも昔の面影は消えてしまった。
別荘地の上の方は確か国有林だったはずだが、その辺へ行けば木ばかりの山、きれいな沢の水が飲める昔懐かしい山の姿を見ることが出来るのだろうか。
美しく豊かな自然が傷ついていない時代に子供時代を過ごせた私はまだ幸せだったと言うしかないのだろうか。
60年余も生きてくれば松本にしても安曇野にしても変わって当たり前と言えば当たり前の話だが、やはり美しい自然は美しいままで残っていて欲しいと思うのは今の日本、日本人に求めても無理な話なのかも。利潤追求しか目が行かない人が多く自然保護の意識が低いのは実に残念。
結局安曇野に住むことは諦めたが、今私が住む緑豊かな周辺の自然がこれ以上無くなることなくあって欲しいと心から願っている。
毎日飽きもせずこの豊かな緑を眺め日々を過ごせることはありがたいこと、幸せなこと…
「おひさま」では今の時代、スタッフも撮影の場所には随分と苦労していると思う。
今は舗装してない道を探す方が難しい位だから、ドラマではセットとして造り込んである物もあるのだろうが、水車小屋と桜の木、道祖神のある昔ながらの懐かしい舗装無しの小道をよく探したものと感心してしまった。まだ私の記憶にある色々な懐かしいものをドラマの中に感じられる。
でも山の形から見たところ、あの辺りからじゃ有明国民学校までは実際にはかなりの距離があるぞ~と、またニヤッとしながら今日も楽しみに「おひさま」を見ている還暦もとうに過ぎたもう一人の「太陽の陽子さん」の私。
ンニャ?
両親が大町市、穂高町(今の安曇野市)の生まれで私が松本生まれ、おまけに私も名前が「太陽の陽子さん」。
でも私はドラマのヒロインの様に出来は良くなかったし、いつも笑顔でいられる性格ではなかった。それなりに活発で明るくはあったが、かなりの引っ込み思案でひどい人見知りの子だったから。
小学校の頃に父に何故「陽子」にしたのか聞いたとき、やはり「明るい子になるように」に由来があったが、戦後のやや食糧事情が良くなった頃に生まれたせい?なのか、田畑の作物を元気に良く育てる大きな力がある…みたいなことも言ったので、何かドンくさい感じを受け少しばかりガッかリした記憶がある。
ヒロイン陽子役の井上真央ちゃん。私は彼女が子役時代の昼ドラ「キッズ・ウォー」のシリーズを楽しみに見ていた。あの頃は私はちょうど12年間続けたパートを辞めたばかりで、その後少々体調も崩していたので家にばかりいるようになっていた時で、毎日見ることができた。
正義感が強く明るく元気な茜役で斉藤翔太君との可愛い恋も胸キュンもので、私のお気に入りのドラマだった。
以後、井上真央ちゃんのファンになっている私。だから「花より男子」シリーズも楽しみに見ていた。
彼女は明るく可愛く親しみやすく、演技力もある。かなり忙しかったはずなのに頑張って大学もしっかり出ている頑張り屋さんなのも気に入っている。浮足立った落ち着かないアイドル的な感じが無いのが私は好きだ。
そしてヒロイン陽子の住む村の家並みが、今私が住んでいる町から車で40分ほどの奈良井宿で撮影されている。
この奈良井宿は私が信州に越して来て以来、この3年半の間に一人で行ったり友達を連れて行ったりで計6回程行っている。観光客がたくさんおらず、ウィークデイに行くと人影もまばらでいつも静かな町で、気に入った喫茶店や宿のはずれにある美味しいお蕎麦屋さんがあるのもいい。
奈良井宿。特に夏には家々の前にはきれいな花がいっぱい置いてあって目を楽しませてくれる。ヒロインの兄春樹の通った松本の高校は今の信州大学の様だし、彼がいた寮の表札がまさに信大の「思誠寮」となっていたと思うが。
撮影も小学校の頃から大好きだった大きなヒマラヤ杉の並木が道路沿いにある信州大学の文理学部の旧学舎、今の「あがたの森」で行われていた。このヒマラヤ杉の並木の前の道を私は小学校、高校と9年間通った。
この大きなヒマラヤ杉は冬、雪をかぶった姿が特に好きだった。
今は大分下の枝が切られてしまい、形が少々残念な状態だが上部は切られていないようだ。私の小学校の頃は手が届くくらいの高さに枝があり、雪降る学校の帰り道、雪の積もった枝を引っ張り、後ろから来る友達にはねっ返る雪をかけてふざけて悲鳴を上げさせた思い出もある。いつもあの大きく枝を広げた美しい姿を想い出す。
今の松本市は随分と高い建物ばかりになり最近行くと私はがっかりすることが多い。これは松本ばかりでなく日本全国、または世界でも大なり小なり同じなんだろうけれど。
昔のことを言ってもせん無いことだが、以前は町中から西の北アルプスの山がまだ見えていた。最近は本当に町が整備されてしまい、岳の町らしからぬ高いビルばかりになり、昔ながらの町の通りも広くなりまったく変わってしまった。
今でもたまに友達と会い、松本市内を歩くと「ここは昔のどこ?」と友達に聞くことがある。自分の生まれ育った町なのに。たまに帰省してはいたが30年余の間、故郷を離れていたんだから仕方ない。行く度と言っていい位に町は変わっていった。
市内を流れる女鳥羽川に幾つかかかる橋の上から東方面を見ると、緑の山の連なりに私の青春の思い出の地、美ヶ原高原の王が鼻の山が見える。
ある日帰省して懐かしい縄手通り周辺を歩き周り、女鳥羽川にかかる子供の頃から馴染みの一つの橋の上から東の山並みを見た時、大げさではなくかなりショックを受けてしまった。細長く高いホテルが建ってしまい、完全に美の山のその姿を遮ってしまっていた。まさに目障りそのもの。
「なんで~、なんであんな所にあんなもの建ててしまったのよ~~!!」だった。町の景観より経営者はホテルからの展望を優先したのだろう。
実に腹立たしかったのだが、こんなこと思っているのは私だけなのかしらん?
松本は「岳の町」がキャッチフレーズだったはずなのに、どうして岳の見えない町にしてしまったのだろうかと非常に残念に思う。
建物の高さや色を規制をしてもいいのではないのだろうか。今の松本市に規制があるのかどうかは知らないが、考えて欲しいと心から思う。
松本駅の前からも東側の美の山が全く見えなくなってしまった。
町の発展、観光面では仕方の無いところもあるのだろうが、同じく観光資源である景観の面からいけばやはり美しい街造りとしてももう少し考えて欲しいと切に願う。
“時すでに遅し”の気もするが、生まれ育った町の残念な変貌が寂しい。
せめて美しい松本城とアルプスの景観を壊さないように、お城より西方面は建物の高さ規制をして欲しいと思っている。
最近自分は豊かな緑の環境に住んでいるせいか、すっかり町でなく街となってしまった松本に行くと、見慣れない街並のせいかすっかり「田舎のネズミ」となってしまっている。我が家に帰り、周囲の美しい緑の山々を見渡すと本当にホッとするのだ。せめてこの周辺は開発が進まないでほしいと思う。
ドラマで陽子が友達と松本へ兄春樹を訪ねて行った時に松本城へ行った場面があった。
月見櫓の南側から春樹が「あれが常念岳だ」と指さして説明していたが、「オイオイ、そっちにゃ常念岳はないんでない?」とニヤッとして見ていた。知っている者しか分からないところだが、そこがご当地ドラマとして見ると面白いところでもある。
幼・小・中・高・大学生と、どの時代を通じても思い出のある松本城。ヒロインが通っていた「有明山国民学校」の門柱の名を見ても思わず笑ってしまった。
たぶん母は子供の頃「有明尋常小学校」に通っていたのだろうと思う。亡き母はヒロインより4歳程年上の様だからきっとドラマの陽子さん、子供たちと同じ様な感じだったのではなかろうか。私の母は頭の良いきれいな人で、農家の嫁は嫌だと満州の商社マンであった父と結婚してしまった人だ。
母の生家へは幼い頃からいつも遊びに行くのを楽しみにしていた。
母の兄、伯父夫婦は暖かく穏やかな人達で、いつも私たちを気持ちよく迎えてくれ色々と面倒を見てくれた。従兄姉達と遊んだこともいつでも楽しく想い出すことができる。
伯父の家には馬小屋にはアオという名の馬がいて、柿の木の下には大きめの鶏小屋があり、昼間は庭に何羽もあちこちに歩き回っていた。豚小屋もあった。何匹も子豚が生まれたとき、母豚がものすごく大きかったことにびっくりし、小屋を覗く私を怖がり逃げ惑っていたたくさんの子豚達がなんて可愛かったことか!
大きな柿の木があり、たくさんの甘い実がなったが、「柿の木は折れやすいで上ったらいけんよ。」と伯母から言われたがやはり大好きな柿を食べたくて上った。落ちはしなかったがやはり小枝が簡単に折れて危ないと実感したもの。
地面の何かをついばんでいた1羽の鶏が厩の前まで行ったとき、目の前を通って行く鶏を馬がパクッとくわえてそのまま長い顔を大きく上下した。鶏が慌てて「コケー、コケーッ、コッコッ~!」とかん高い声で鳴きわめいたせいなのか爪先で馬が顔を蹴られたのかは分からないが、馬は慌てて口を開け鶏は地面に無事舞い降りて逃げた。
それを見ていた私は何故かおかしくて大笑いしていたら「どうしただ?」と家の中にいた伯父達に聞かれた記憶がある。何歳頃だったのだろうか?小学校に上がったかどうかの頃だと思う。書き出せば本当に懐かしいいっぱいの思い出がある子供時代だ。
母の家の門を出ると左方向、西に大きな有明山がドン!と見える。
母は「有明山は“信濃富士”と言うんだよ」と言っていた。本物の富士山よりは丸みのある形だけれど、有明から池田町あたりから見る有明山は確かに信濃富士だ。大町方面に近づくにつれその形も少々歪んでくる。「おひさま」を見ていても有明山や常念岳の形の変化で大町寄りか穂高寄りか分かる。
母が亡くなりもう早20年近くになる。私が安曇野方面に行ったときにはいつも有明山を見て「お母さん、来たよ。」と言い、帰りにはまた有明山を見て「また来るね。」と内心呼びかけてきた。ここしばらく有明方面に行ってないのでそろそろ行きたいと思っている。
豊科、穂高と安曇野も随分観光化されて変わってしまった。
今は伊那谷のはずれに住んでいる私だが、最初は大好きな安曇野に住む場所を探した。独り身になる前から年を取ったら信州、安曇野に住みたい……が私の夢だった。図らずも信州に住むことになったけれど。
何度か家を探しに行くと私の頭の中の描いていた安曇野はもう無かったに等しかった。
夏休みの時期に行ったとき、渋滞を起こすほどの何台も続く観光バスや車には嫌気がさし、山裾まで観光客目当てのレストラン、ホテル、施設、住宅が増えたことと言ったら嘆かわしい位だった。
これも当然と言えば当然で仕方の無いことなのかと。
メディアに頻繁に「安曇野、安曇野」と出るようになって久しい。安曇野の人々は町興しもしたいはずだし、今の時代、美しくあんな良い風景の場所だもの観光化されて当然なのだろう。でも私の中には何十年も前の美しいイメージの安曇野があり続けている。
松ぼっくりの花かごの造り方を従姉が教えてくれたり、従兄姉たちと走り回った山の中は別荘地に開発されてしまった。
きれいな川の高かった(当時はそう感じた。)土手の上から、粗いけれど太陽にキラキラと輝くような白っぽい美しい砂地の川底目がけ、何度も飛び降りて遊んだきれいな川はすっかり公園風に整備されてしまった。どこもかしこも昔の面影は消えてしまった。
別荘地の上の方は確か国有林だったはずだが、その辺へ行けば木ばかりの山、きれいな沢の水が飲める昔懐かしい山の姿を見ることが出来るのだろうか。
美しく豊かな自然が傷ついていない時代に子供時代を過ごせた私はまだ幸せだったと言うしかないのだろうか。
60年余も生きてくれば松本にしても安曇野にしても変わって当たり前と言えば当たり前の話だが、やはり美しい自然は美しいままで残っていて欲しいと思うのは今の日本、日本人に求めても無理な話なのかも。利潤追求しか目が行かない人が多く自然保護の意識が低いのは実に残念。
結局安曇野に住むことは諦めたが、今私が住む緑豊かな周辺の自然がこれ以上無くなることなくあって欲しいと心から願っている。
毎日飽きもせずこの豊かな緑を眺め日々を過ごせることはありがたいこと、幸せなこと…「おひさま」では今の時代、スタッフも撮影の場所には随分と苦労していると思う。
今は舗装してない道を探す方が難しい位だから、ドラマではセットとして造り込んである物もあるのだろうが、水車小屋と桜の木、道祖神のある昔ながらの懐かしい舗装無しの小道をよく探したものと感心してしまった。まだ私の記憶にある色々な懐かしいものをドラマの中に感じられる。
でも山の形から見たところ、あの辺りからじゃ有明国民学校までは実際にはかなりの距離があるぞ~と、またニヤッとしながら今日も楽しみに「おひさま」を見ている還暦もとうに過ぎたもう一人の「太陽の陽子さん」の私。
ンニャ?


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